日本でも有名な韓国人サッカー選手の一人、パクチソン。
2014年には韓国だけでなく日本でも多くのサッカーファンがパクチソン選手の現役引退を惜しみました。
今回は、パクチソンの選手の経歴や現在の生活、日本語の実力などについてご紹介します。
(トップ画像Newsisより)
パクチソンプロフィールと来歴
生年月日(旧暦)1981年2月25日
出身地 全羅南道 高興郡
身長 175cm
体重 72kg
家族 妻、娘、息子
所属チーム
京都パープルサンガ(2000~2003)
PSVアイントホーフェン(2003~2005)
マンチェスター・ユナイテッド(2005~2012)
クイーンズ・パーク・レンジャーズ(2012~2014)
PSVアイントホーフェン(2013~2014)
パクチソン選手は、日本でもよく知られた韓国を代表するサッカー選手です。
水原のセリュ小学校でサッカーを始め、2000年、Jリーグの京都パープルサンガに入団しプロとしてデビューしました。
その後、オランダのPSVアイントホーフェン、イングランドのマンチェスター・ユナイテッド、クイーンズ・パーク・レンジャーズなど、世界のサッカーリーグで活躍。
国家代表としては、2010年南アフリカワールドカップの主将を務め、数々の実績を残してきました。
その後2014年、PSVアイントホーフェンに戻り、早くして選手生活に幕を下ろしました。
パクチソン選手は、2000年代を代表する選手として、引退後も多くの韓国国民から愛されている選手です。
それぐらい、パクチソン選手のプロ意識や実力がずば抜けていたという証拠なのです。
今現在でも、「ポスト・パクチソン」と呼ばれるほどのプレースタイルとメンタルを兼ね備えた選手は、韓国サッカー界に未だ出てこないと話すサッカーファンが多いです。
現在何してる?
パクチソン選手は、2014年5月14日に現役引退を宣言するとともに、当時交際していた4才年下のSBSアナウンサー、キムミンジさんとの結婚を発表しました。
キムミンジさん
namuwikiより
2014年7月に結婚。奥さんはそれに先立ってSBSを退社しており、結婚後は2015年11月に女の子、2018年2月に男の子を出産しています。
パクチソンは現役引退後、国際サッカー評議会の諮問委員、大韓サッカー協会のユース戦略本部長、マンチェスター・ユナイテッドのアンバサダーなどを務めています。
また、2018年ロシアで行われたワールドカップでは、韓国の放送局SBSの正式解説委員として抜擢され、本格的な解説者としてのデビューを果たしました。
現在は、育児休暇を兼ねてイギリス・ロンドンの自宅に戻り、ゆったりした家族との時間を大切に過ごしています。
カズとの関係は?
パクチソン選手と日本との縁は、まさに京都パープルサンガへの入団から始まりました。
そのとき、「キングカズ」として確固たる地位を築いていた三浦知良(カズ)選手(現・横浜FC)と出会います。
韓国では今でも、カズは「パクチソンにプロ意識を植え付けた選手」として知られています。
実際に、パクチソン選手は、「京都に所属する間、最も影響を受けた人物」としてカズのことを話しています。
これに対して、カズは「主力選手としてヨーロッパのプレミアリーグで活躍した、本当に素晴らしいアジア選手だ」とパクチソン選手を評価しています。
日本語が今もうまい理由
パクチソン選手は、とても流暢な日本語を話す選手としても知られています。
この背景には、2000年にパクチソン選手を日本に呼び寄せた京都パープルサンガのチーム統括部長、木村氏の指導方法がありました。
通常、外国人選手には通訳が付きますが、誰よりもパクチソン選手に将来性を感じた木村氏は、「通訳を介すと言葉の本当の意味が伝わらない」として、日本語を勉強するよう徹底しました。
その指導を真摯に受け止めたパクチソン選手は、サッカーと日本語の習得を両立。
そのおかげでテレビや新聞記者からのインタビューに対しても通訳を一切使わず、すべて自身の言葉で答えました。
パクチソン選手は、現在も京都パープルサンガ時代の同僚選手と交流があり、サッカー選手として苦しい時代に身につけた日本語を決して忘れることがないようです。
さらに、今はイギリス・ロンドンで生活を送っているため、日本語に加え、英語も流暢です。
サッカーはもちろん、語学力の高さにおいてもまさにパクチソン選手のプロ意識が表れています。
最後に
日本でプロデビューし、ヨーロッパのプレミアリーグでも活躍したパクチソン選手は、その輝かしい経歴を活かして、選手の育成とサッカーの発展に寄与しています。
パクチソン選手のプロ意識とたゆまぬ努力は、素晴らしいものとして高く評価されています。
今後、次世代のパクチソンが誕生する日が楽しみですね。