韓国サッカー選手出身で韓国代表チームの監督も務めたホンミョンボ氏。
現役時代は約13年間代表チームの主力選手として活躍し、1990年代の韓国サッカーを率いたレジェンドです。
今回は、ホンミョンボ氏のプロフィールや現在の様子、妻と家族についてご紹介します。
(トップ画像https://terms.naver.com/より)
ホンミョンボのプロフィールと来歴
生年月日 1969年2月12日
出身地 ソウル
身長 181cm
体重 73kg
所属 尚州尚武FC(1991~1992)
浦項製鉄アトムズ(1992~1997)
ベルマーレ平塚(1997~1999)
柏レイソル(1999~2001)
浦項スティーラース(2002)
ロサンゼルス・ギャラクシー(2003~2004)
プロデビューへの道のり
小学5年生の時からサッカーを始めたホンミョンボ選手。
とにかくサッカーが大好きな少年でしたが中学生になっても身長が150cmしかなく、高校進学後ようやく急速に成長しました。
1990年高麗大学を卒業すると同時に、国軍体育部隊所属のサッカー団である尚州尚武FCに所属。
韓国国民の義務である軍隊での服務を果たしました。
Kリーグでの輝かしい成績
除隊後の1992年浦項製鉄アトムズへ入団し、プロデビュー。
プロ1年目のシーズンにはMVPを受賞、Kリーグで最も優れた11人の選手に授与されるベストイレブンに選ばれるなど、チームの優勝に大きく貢献しました。
1994年には世界オールスター戦へ出場し、アジアサッカー連盟守備賞を受賞。
レギュラーシーズンではKリーグベストイレブンのタイトルを獲得しました。
この年ヨーロッパの三つのクラブからオファーを受けましたが、契約が折り合わずヨーロッパ進出とはなりませんでした。
翌1995年にはユゴンコッキリ(現・済州ユナイテッドFC)戦で48m地点からのフリーキックでゴールを決め、当時最長距離となる圧巻のプレーを見せつけました。
1996年には全北ダイノス(現・全北現代モータース)戦でハットトリックを決めるなど素晴らしい活躍ぶりで、この年Kリーグベストイレブンに選ばれました。
シーズン終了後、ホンミョンボ選手は海外クラブへの移籍を模索。
Jリーグのベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)と契約し、日本行きを決めました。
Jリーグでの活躍
1997年Jリーグでの選手生活が始まりましたが、ホンミョンボ選手はスイーパーではなく守備型MFとして出場。
当時チームには中田英寿選手がおり、リベロとしてではなく守備の中心として期待されたことで、思うように本来の持ち味を発揮できませんでした。
翌1998年にはチームの財政悪化により、ホンミョンボ選手は柏レイソルへ移籍することに。
ホンミョンボ選手の活躍により1999年、当時中下位圏だったチームが一気にリーグ3位まで順位を上げました。
2000年には外国人選手としてチームの主将を任され、昨シーズンと同じく3位に。
ホンミョンボ選手の活躍は、多くの日本のサッカーファンから認められました。
Jリーグでは通算135試合に出場し、11ゴールという成績を残しました。
Kリーグ、そしてMLSへ
2001年浦項スティーラースと2003年までの2年契約を結んだホンミョンボ選手。
契約期間中に開催された2002年FIFAワールドカップ日韓大会では韓国の4強進出に大きく貢献し、ホンミョンボ選手は浦項の大人気スターとなりました。
浦項スティーラースの試合のある日はチケットが完売するほどの盛況ぶりでした。
ところが、突然のMLS(メジャーリーグサッカー)への移籍宣言。
2002年7月にロサンゼルス・ギャラクシーへの移籍が報じられ、11月にはKリーグ最終試合を済ませ早々とアメリカへ。
多くのファンは戸惑いを隠せませんでした。
MLSでは自身の登録名「BO」と書かれたユニフォームを着てプレー。
2004年10月記者会見に臨んだホンミョンボ選手は、正式に現役引退を宣言しました。
代表選手としての功績
1989年冬、当時高麗大学に在学中だったホンミョンボ選手は初めて韓国代表選手に選ばれ、2002年までの約13年間代表チームでも活躍しました。
FIFAワールドカップには4大会(1990年イタリア大会、1994年アメリカ大会、1998年フランス大会、2002年日韓大会)の全ての試合に出場。
日韓大会では世界的な守備選手として最高の評価を受け、アジア選手と初めてブロンズボール賞を受賞しました。
そして同年11月、韓国代表の引退を表明。多くのファンから惜しまれました。
指導者としての経歴
現役引退後、サッカー指導者の道を選んだホンミョンボ氏は、2006年には韓国代表チームのコーチとして就任しました。
しかし当時サッカー協会が定める指導者ライセンスを持っておらず、表立って指導することはできませんでした。
その後2007年アジアカップ首席コーチ、2008年オリンピック首席コーチを経て2009年U-20韓国代表チームの監督に就任。
同年9月エジプトで開催されたFIFA U-20ワールドカップでは、8強進出という成果を残しました。
その後も2010年広州アジア大会、2012年ロンドンオリンピック、2014年FIFAワールドカップブラジル大会など数々の主要な国際大会へ代表チームを率いました。
ホンミョンボの現在は?
ホンミョンボ氏は2017年より大韓サッカー協会専務理事を務めています。
現在は専務理事としての活動が増え、韓国代表チームの関連式典やイベントなどに参加。
またホンミョンボ奨学財団を設立し、恵まれない環境でサッカーを続けている小中高校生へ奨学金とサッカー用品の支援を実施。
子ども対象のサッカー教室や青少年サッカーフェスティバルを主催するなど、韓国サッカーのさらなる発展と子どもたちの教育に大きく寄与しています。
現役時代は日本でも大きな功績を残したことから、2019年6月Jリーググローバルアンバサダーとして選ばれたホンミョンボ氏。
今後はJリーグを世界にPRし、日本での社会貢献活動も大きく期待されます。
ホンミョンボ妻との結婚、息子画像
1994年FIFAワールドカップアメリカ大会のキャンプに参加したホンミョンボ選手は在米同胞のジョスミさんと知り合い、1997年3月に結婚。
当時ホンミョンボ選手はワールドカップフランス大会の予選終了後に結婚式を挙げる予定でしたが、所属チームだった浦項スティーラースのアジアクラブ選手権準決勝進出が決まり、やむを得ず結婚式を一週間延期したという秘話も。
1999年には長男ソンミン君が、2年後には次男ジョンミン君が誕生しました。
2012年11月MBCのテレビ番組では、ホンミョンボ氏がUNエイズ親善大使として息子二人とともにタイを訪れる様子が放送されました。
父ホンミョンボ氏とそっくりの長男は攻撃選手として、次男は父と同じポジションである守備選手としてサッカー選手を夢見ていると話していました。
息子二人が生まれた時、どちらも海外遠征で妻のそばにいられなかったことを今でも申し訳なく思っているというホンミョンボ氏。
「父としてできることをきちんと守ってやりたい」
と息子への愛情を表していました。
最後に
韓国サッカー選手として世界的に最高の評価を受けたホンミョンボ選手。
現役引退後も、サッカー指導者や運営者として韓国サッカー界の大きな支えになっています。
韓国代表チームの監督復帰やJリーグへの寄与など、今後の動向に注目したいですね。